「口から吐く血には、二種類あるのを知っていますか?吐血と喀血です。」 医療の知識も忍者には役に立つと、新野先生が特別授業を行なっていた。今日は雪が降っていて、教室も少し寒い。皆熱心に聞いているようだが、たまに頭が傾いたり、なにかを見つけたかのように体をビクつかせる奴がいる。そんな姿を、先生は微笑ましく眺めながら話を続ける。 僕は、雪の積もった日に、ある思い出がある。まだ髪結いをしていた時、一面真っ白の道を歩いていたら、赤い血が花びらのように落ちていたのだ。はじめは本当に花びらかと思った。近づいてよく見たとき、雪に沁みた赤い液体が、やけに心臓を突き動かした。 「喀血は肺などの呼吸をする器官から出される血です。吐血は胃や腸といった消化の器官からの血です。」 その血を辿って行くと、真っ白な道に、うつ伏せで倒れている一人の男を見つけた。自分と同じ歳くらいの少年だった。全身が積もる雪に覆われていた。顔を覆っている雪をそっとはたく。切り傷や擦り傷が多い。口の辺りに乾いた赤が付いている。白い息はない。生きているのか死んでいるのか分からない。こういう場面に居合わせたとき、どうすればいいのか?お使いに行く途中で、銭しか持っていなかった。銭はいざというとき、役に立たない。 『あの、大丈夫ですか?』 とりあえず、体を揺すった。 『大丈夫ですか?大丈夫ですか?』 体を動かした雪の擦れる音だけがする。そうして体を起こしたとき、着物にべったりと付いた赤い血が目に入った。思わず手が止まった。 「肺から出た血は鮮やかな赤い血です。胃などから出た血は赤黒く、暗い血をしています」 この寒さで固まってはいるが、かなりの量の出血だった。それでもどうしていいか分からない。周りには家も店もなく、人通りもなかった。その時、彼の手が少し動いた。ガリ、と雪を掻く音がする。 『…………。』 『!』 僕はその手を取った。冬の鋏のように冷たかった。両手でその手を覆って必死に暖める。着ていた羽織を一枚脱ぎ、彼にかけてやる。 『あの』 かすかに声がした。 『あの、すみません。あの』 掠れるような小さな声も、周りに何もないおかげで僕に聞こえた。『はい!』と言って顔を見る。閉じた瞼が僅かに開く。ぼんやりしていて、視界に僕は入っていないようだった。 『あの。あの』 『はい、何でしょう。何でしょう』 『この先の団子屋に、青い服を着た男がいます。そいつを連れてきてください』 『青い服の男ですね?』 『はい』 『はい、分かりました!すぐ、連れてきます!』 そうして僕はすっくと立ち上がった。その時、彼はごほごほとひどく咳をして、口から大量の血を吐いた。それは、赤い椿の花びらのような…鮮やかな赤い血が、雪に染み込む。その瞬間に僕の身体はぶるぶると震えた。それでも走った。 「また、血痰という痰に血が混じるものもあります。喀血とは血液そのものを咳と共に吐くことです」 団子屋の青い服の男を目指して走った。彼を一人にすることは、気が引けたが、自身ではどうすることもできない。何か無力を感じながら、出来る精一杯のことをやるべく雪に足を取られながら走った。 息が上がり、全身が熱くなったとき、団子屋が見えた。夢中で入るが、店内には誰もいない。『いらっしゃいませ』。店員の女性が奥から出てきて、話しかけてくる。 『すみません。青い服の男の人がいませんでしたか?』 高鳴る心臓と上がった息を堪えながら、尋ねる。 『青い服の方?あ、ついさっきまで居らっしゃいましたよ』 『帰ったんですか?』 『はい…ついさっきです』 僕は慌てて店を出て、あたりを見回したが、誰も見つけられなかった。はあと息を吐く。近くにちょうど着物屋があったので、持っていた銭で暖かい羽織を買った。とりあえずこれを持って行こうと、来た道をまた走って引き返す。 「斉藤くん。斉藤くん。問題です。鮮やかな血を吐くのは、吐血でしょうか?喀血でしょうか?」 「えッ?!」 急に現実に戻された気がして、驚いて立ち上がる。皆の視線が集まる。新野先生がにこにことしながら見ている。ぼんやりしていたのを、見透かされていたのか?鮮やかな、赤い椿の花びらのような血を、僕は見た。 「鮮やかな血を吐くのは、喀血です。」 周りが少々驚く。はい。と言って、新野先生は頷く。僕は座る。「タカ丸さん、聞いていたんですね。」と、隣の三木ヱ門が声をかけてきた。もちろん。と言って三木ヱ門の方を見ると、その向こうの窓から雪が降っているのが見える。しんしんと雪は降る。 そうしてあの日、疲れ果て足を何度か止めながらも、羽織を抱え必死で少年のところに戻ったのだが、僕が戻ったときそこには誰もいなかったのだ。いないものに掛けていたかのように僕の羽織が落ちていて、それを拾うと、真っ赤な椿の花が一輪落ちていた。それまで点々と続いていた血の跡も、ひとつひとつが椿の花びらとなっていた。白に映える赤がただ印象に残っている。 僕はその花びらを踏みながら、帰路についた。銭を使ってしまったので、お使いは果たせず、不安のような、寂しいような、虚しいような気持ちを抱えて帰った。 「ありがとうございました。」 新野先生の授業が終わり、僕は委員会の仕事のため火薬庫へ向かう。今日は雪が降っている。あの時、少年に掛けるべく買った羽織を着る。火薬庫へ行くと、久々知くんがいた。 「あ、タカ丸さん来ましたか。」 白い息を吐きながら、話しかけてくる。 「遅くなってごめんね」 「いいえ。新野先生の特別授業ですよね。いいなあ、俺も受けてみたかった」 僕は側に置いてあった確認票を取る。 「こっちをすれば良いんだね。」 「はい、お願いします」 お互いに背を向ける。 あの時の少年は、赤い血の他にもう一つ持っていた。それだけは雪に覆われていない、黒い髪だ。墨で塗られたかのように横たわる黒い髪は、吸い込まれそうでぞくぞくとした。僕は忍術学園に入学して、改めてあの黒い髪を見つけた。忘れることの出来ない。あの少年は久々知くんに間違いないと思った。 けれど、あの話はしていないし、確認もしていない。久々知くんは僕のことを覚えていないだろうし、僕のことを見えていなかっただろうから。死にそうだった彼がこうして元気に生きていた。それだけで、満足だった。 「新野先生は、何の授業をしたんですか?」 突然、久々知くんが話しかけてくる。 「えーっと、吐血と、喀血の違い…とか」 「ふうん?何ですか、違いって」 「肺から吐くのが喀血、胃や腸から吐くのが吐血なんだって」 「へえ」 少し間が空く。 「昔、今日みたいな雪の日に、俺は肺をやられて、血だらけになって倒れて死にかけたことがあったんです。その時、親切な人に羽織を掛けてもらって、助けてもらいました。勘右衛門を呼んで来るように頼んだんですが、あいつと行き違いになってしまったようで。でもあの人のおかげで俺は生きてるんで、感謝しているんです」 僕は手が止まる。久々知くんの手は動いている。冬の鋏のように冷たかった手が。 「…僕は、冬の雪の日に、椿を見たことがあるよ。赤い椿の花びら。一枚一枚落ちていたんだ」 久々知くんの手は動いている。「そうなんですか。」と微笑む。僕はそれを見て、もう一度手を動かす。不明瞭な思い出を持っている。なんだか美しいと思った。 しんしんと雪は降る。 ** 多分久々知も気づいているけど、お互い確認しないのが良いよねみたいな感じです。 |