「♪もう、いくつ寝ると、お正月…」
「兵助は、正月近くになると、楽しそうだね」

季節は、冬。兵助は、毎年正月が近づいてくると、毎日のようにこの童謡を歌うのだ。

「そうかな?」
「そうだよ。」
「今年は、きちんと帰ろうと思って」
「そうなの」
「そう、だから、明日に出る」
「遠いからね。気をつけて」

楽しそうに楽しそうに、荷物を整えていた。

翌日。珍しく雪が降った。
もう昼になるのに、兵助はしんしんと降り積もる雪を見ている。

「おうい、帰らないのか?」
「あ、いや…雪が降っていると危ない。今日は止めようと思って」
「雪道も歩く術を、この間教わったばかりじゃあないか」
「まあね、でも、わざわざ危険を冒してまで、行くほどではないよ。明日にする」
「そう」

雪は、一日降り続けた。

翌日。とんでもない猛吹雪となった。

「なんだろうな…今日も帰るのは止めようかな」

兵助は、ヒュオオオという音を聞きながら、窓も開けずに言った。

「うん、止めた方がいいと思う」

この日は、特にひどかった。ご飯を食べに食堂に行くだけで、全身雪まみれになったのだ。

そして、翌日。刺すような寒さを残して、雪は止んでいた。

「予定がいくらか、狂ってしまったな。」

けれども、兵助は嬉しそうであった。昨日のうちにまとめておいた荷物を確認していたときのこと。ばたばたと廊下を走ってくる大人の足音が聞こえる。

「兵助!いるかーッ」

汗だくになった土井先生が、部屋の戸を開けてきた。この寒い中、ずい分と走ってきたに違いない。

「どうしたんですか?」
「この寒さで、火を焚きたいと、あっちこっちの奴らが訪ねてくるんだ。でも、年越しまでの在庫も確保しておかなくてはいけないだろ。私ひとりの手には追えない、手伝ってくれ!」
「え、はあ、分かりました」
「ほかの火薬委員は全員帰ってしまったの。頼んだ!」
「はい!」
「兵助、」

思わず呼んでしまった。しかたがないよ。兵助は口だけでそう言うと、部屋を飛び出して行った。

結局、彼が帰ってきたのは夜になってからだ。


翌日。
文句の言いようのない晴れ。雪もかなり溶けている。暖かさすら感じられる、ほっとした朝だ。縁側に出て、大きく伸びをしていたら、兵助が起きてきた。

「おはよう。勘右衛門。帰るのか?」
「うん。今日出るつもりだったの。いい天気だよ。兵助も急いだら」
「そうだね」

心なしか、つまらなさそうだ。

「今ごろ晴れたって」

晴れたって、と言ったきり、ずっと黙っていた。黙って、遠くを見つめている。兵助が帰ると言ってから、四日目。

「帰らないのか?」
「もう遅いよ…もう無理だ。こんなにも遅れてしまったから。」
「まだ間に合うさ」
「もう間に合わないよ」
「そう…」

ひどく寂しかった。

帰り支度をして、昼前、忍術学園を出ることにした。兵助は、縁側に座ったままぼうっとしている。

「帰るよ」
「おう。気をつけて」
「よいお年を」
「…勘右衛門」
「なに?」

勘右衛門を呼んだ兵助は、右手を上げて、手のひらを広げて、ひらひらと動かした。鳥が羽ばたくように。

「こういう風に...」

手首を動かしながら、兵助の手のひらは遠くへ向かう。

「こういう風なことが、出来たらいいのにね」

からから、と風が笑っている。遠くで誰かの楽しそうな声がする。彼の言葉を、笑うように。勘右衛門は言った。

「そうだね…」
「…」
「けれども、そうでないから俺たちは、きっとここに居るのだろうね」
「...」
「...よいお年を」
「よいお年を…気をつけて」
「ありがとう」




年が明けて、初めての登校となった。

「あけましておめでとう」
「おめでとう」
「今年も宜しく」
「宜しく」
「あけましておめでとう」

そんな会話を潜り抜け、部屋に辿り着く。どうも、人の気配がなかった。おや。と思いながら戸を開いても、やはり誰もいない。
ロウソクのない机、少しばかり埃った角。障子を開けると布団が冷たくなっていた。物静かなとき。その時、かたかたと廊下を誰かが歩いてきた。
勘右衛門は確信した。荷物を置いて、部屋のど真ん中に座る。床も冷たい。戸に誰かの影が現れて、さ、と開いた、そこにいたのは、もちろん兵助だ。彼が着ているのは制服ではない。傘を被ったままだし、足袋も少し汚れている。驚いたような、恥ずかしそうな顔をしている。息が白い。あとちょっと、の差だったね。
勘右衛門は笑った。

「おかえり、兵助」

兵助は少しだけ嬉しそうに言った。

「ただいま、勘右衛門」
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