おれの父さんはある城に仕えていたのだが、物心のつきはじめた頃に謀反の疑いをかけられて殺された。父さんは知識と教養があった。信念と誇りもあった。けれど、息子のおれに「父上」ではなく「父さん」と呼ばせた。そういうことが出来ない人に、父さんは捕まった。知識人は全て、謀反の疑いをかけられて殺された。その日、立ち尽くすおれに父さんは言った。へいすけ、勝て。勝ち続けるんだ。何を以って「勝ち」とするか、それはお前自身が決めろ。そして永遠に勝ち続けるんだ。そうすれば父さんのようにはならない。絶対に、父さんのようになってはいけない。

ほぼ無抵抗の父さんを乱暴に扱いながら連れて行く奴らを見て、おれは何を以って勝ちを決めるかすぐに判断が出来た。知識だけではいけない。教養があってもいけない。信念も誇りもそれだけではいけない。必要なのは「力」だ。心の中だけではだめだ。物理的な力を以って、勝ち続けなければならないのだ。



親の影響というのは大きいものだ。幼くして失った場合はなおさら。甘い記憶に酔いながら、自覚しつつも忘れられない。それは思い出。父親の話をする久々知先輩を見ながら、何度も思った。僕にはまだ両親がいて、だから逆らったり、怒られたり、甘えたり、出来るけれど、先輩はもう出来ないのだ。

「伊助。いま、裏裏山の少し先でヒマワリがよく咲いているところがあるらしいんだ」
「ヒマワリですか
「そう。明日、火薬委員で行ってみないか
「はいぜひ」

先輩は夏になると、こうして色々なところへ出かけようと言ってきた。花火大会、町のお祭り、海水浴、そうしてヒマワリ畑。今はちょうど夏休みで、秋になると五年生は厳しい実習があるらしいから、楽しみたいんじゃないかな。と、庄左が言っていた。僕はそれで納得していた。翌日、タカ丸さんと池田先輩と土井先生を誘って、ヒマワリ畑に行った。その道中、裏裏山の中で女の人の悲鳴が聞こえた。すぐ近くで。僕たちはハッとしたが、久々知先輩は顔色を変えず、平然と先を行こうとした。

「先輩

止める。

「先輩、助けに行きましょう」
「どうして
「どうしてって…」
「俺たちには関係ないだろ」

それよりヒマワリを。と言った先輩を、僕も、池田先輩も、タカ丸さんも、信じられない心で見ていた。まるで別人のように思えた。土井先生が、堪りかねたように言う。

「兵助、そう言うなよ。ほら行こう」

先輩は少し俯いたあと、ごめんな、伊助。と言って、悲鳴の聞こえた方へ走り出した。先輩の中で、一体何があったのか僕たちは顔を見合わせて、後に続く。

しばらく行くと、野党らしき数人の男に女の人が襲われていた。草むらからその様子を見つけた僕たちは、息を飲み、どうするべきか相談するために一度少し離れようとした。しかし久々知先輩はすっくと立ち上がり、小石を男に投げつけた。何奴と声がしたときには、先輩は男たちの元へ行って、殴る、蹴るを一瞬で駆使して全員を倒していた。あまりに早い出来事に、すごいとか、かっこいいとか、思う暇もなく、僕たちは唖然とした。女の人がお礼を言おうとしたとき、久々知先輩は言った。

「お礼はいりません。先を急ぎますので。この男共が気がつく前に、早く逃げた方がいい」

無愛想な物言いに、女の人が戸惑っていると、土井先生が近づき、山の麓まで送りましょう。と声をかけた。えと僕たちはまた顔を見合わせる。どうするべきか迷っていると、久々知先輩と目が合った。そうして、先輩はちらりと土井先生の方を見た。付いていけ。と言っているようだった。池田先輩とタカ丸さんはその指示に従うように、土井先生と女の人の側へ行ったが、僕はなんだか行く気になれず、その場に佇む久々知先輩の元へ行った。

「いいんですか
「いいよ。こうなることは分かっていたからね。土井先生がしなくても、タカ丸さんか、三郎次か、伊助がああしただろ」
「……」
「俺はしばらく散歩して帰るよ」
「僕も付いて行っていいですか

先輩はまっすぐ僕を見る。

「…………」
「…………」
「…。いいけど…」
「ありがとうございます」

先輩は、ヒマワリ畑の方へ歩く。

「あの、先輩は、あまり女の人を助けたくありませんでしたか
「…うーん、明日は、雨が降るんだよ」
はい」
「明後日も雨、明々後日も雨。ヒマワリはきっと散るだろう」
「あ…」
「なんてね。ヒマワリの方が大事だなんて、俺はどうかしているな」

しばらく景色の変わらない山道を歩く。

「俺みたいになるなよ。伊助」

変わらない景色を見ながら、先輩が言った。その表情は、いつもと変わらない、穏やかで、優しくて、けれど何を考えているのか、少し分からない。返事をしかねていると、先輩は止まった。

「どうして返事をしないんだ

それは責めているわけではなくて、単純な疑問のように聞いてきた。どうして僕にも答えは分からない。けれど、先輩のようにならないでおこうと思うほど、先輩が悪いように思えなかったのだ。その理由は、分からない。

「分かりません」
「そう」

しばらく黙る。

「……力があれば勝てると思ったけれど、今の俺はなんだか負けた気分だ」
「え
「伊助が返事をしなかったからじゃないよ。なんか全体的に」
「全体的に…」
「勝つのは難しいな」

また歩き出す。

「伊助は勝ち負けについて、考えたことはあるか
「いえ…」
「だろうね」
「テストの点数は、いつも庄左に負けてます」
「そう」

変わらない景色を、先輩は眺める。

「勝ち負けなんて、テストの点数とか、分かりやすいもので決められるはずだったのに、いつからかそれが難しくなるんだ」
「…
「誰も審判がいないんだ」
「審判
「勝ち負けを決める人」

もうすぐ裏裏山を抜ける。

「難しいよ、勝ち続けるのは」

先輩はもう一度言った。僕は今度こそ何を言ったらいいかわからず、黙っていた。こんな自分が、少しもどかしい。僕は10歳で、先輩は14歳。僕は1年生で、先輩は5年生。歳も学年も離れているけれど、だからと言って先輩の気持ちの受け取り方が分からないのは、僕は悔しいと思った。裏裏山を抜ける。遠くで黄色いヒマワリが見える。先輩が、大きくため息をつく。

「ありがとう、伊助。ここで少し休んだら帰ろう」
「え
「俺たちだけで行くのも、なんだかね、後味が悪いというか」

こういう気持ちを、「負け」というのだろうか幼い頃の思い出が、今も先輩に色濃く残っている。勝ちに拘るように言われた先輩に、勝ちを確信させる人はいなかった。僕は代わりに「先輩は勝っている」と言いたかったが、今の状況は、勝ちでも負けでも、どちらでもないと思った。どうして女の人を置いていって、ヒマワリを遠くから眺める今も、勝ちではないし、決して負けではないと思う。生ぬるい風が吹く。

「なんだか天気が怪しいな。そろそろ帰るか
「はい」

名残惜しいけれど山の方を振り返ったとき、蝉が1匹鳴き始めた。

つくつくぼうし
つくつくぼうし

「おーい、明日は雨だぞ」

先輩が独り言を言う。

「早くしないと、死んじまうぞ」

蝉は1匹鳴き続ける。先輩はゆっくりと、歩き始めた。僕はそれに続く。


翌日の朝早く、先輩をはじめ五年生は皆実習に向けての課外授業へ向かい、夜が深まったころに帰ってきた。みんな所々に傷があったそうだが、久々知先輩だけは傷一つついていなかった。と、保健委員の乱太郎が教えてくれた。けれど、先輩は「負けた」と言っていたらしい。「負けた」と、何度も繰り返し言っていたらしい。













***

力があると勝てると思ってたけど、男を倒しても女の人を置いていったことで負けた気持ちになるので、勝ち負けを決めるのは難しいね。でも早く勝たないと、お父さんみたいに殺されてしまう、と久々知が思ってる。という話

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